思考の徒然的出力装置。

徒然なるままに日暮らしネットに向かひて、心に移り行く由無し言をそこはかとなく書きつくれば、怪しうこと物狂おしけれ。

憲法は権力を縛るものなのか?

こんにちは。

一年間のブランクがギリギリできる前に更新することにしました。

 

19時になっても空が明るく、下宿生の敵たる電気代をかさませるエアコンがないと苦しくなってきました。夏ですね。スイカバーが食べたくなります。風呂場にたまに現れるコバエに憎しみを覚えます。

2016年夏。夏の選挙が近づいてきました。

 

さて今回はタイトルの通り、「憲法は権力を縛るものなのか?」という問いについて、憲法学をまだちゃんと学んだことのない私が考えだした答えを記しておこうと思います。

 

 

憲法とは何のためにあるのでしょう。私は憲法を国の指針を示す目標、そして最高法規と捉えていました。目指すべき姿が描かれており、そして国に存在する絶対的ルールである。漫画で言う連載前の大筋、小説のプロット、詳細設計前の要件定義、そんな感じでしょうか。

 

だから、私たち一国民も縛ることのできるものであるとも、うすぼんやりと思っていたことになります。

だって国民の義務についても書かれていますから。国民かくあるべきってことも含まれていると考えていました。

 

今はあまりその考えはありません。

確かに憲法に国民を縛る一面を与えることはできますが、憲法の目的はそこになく、国民を縛る有用性を感じられないのです。

 

憲法は、三権分立された国家権力と、主権者たる国民の間にあるものです。

そして法律も、国家権力と国民の間にあります。

 

では、法律とは何でしょう。

法律は、国家の維持のために必要なものです。

私たちは基本的に、自分の思うように生きる権利を持っています。

しかし自由だからといっても、人を殺す自由や窃盗をする自由などがあれば、安全な社会を維持することができません。

そのため、法律で人を制限します。安全な社会を維持できない恐れのある行為が制限されます。

より原則的な言い方をすれば、「他人の自由を制限する」ようなことは制限される、と言えるでしょう。

 

ちなみに、これはまさに憲法第13条の記述、

すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

特に“公共の福祉に反しない限り”という部分に共通します。

公共の福祉、というのは「他人の自由」と言い換えることもできるのでしょう。

 

しかし、国家権力は国民一人ひとりの権利を制限することができる。これは恐ろしいことでもあります。

 

もし、国家が文章を書く自由を奪ったら。もし、国家が恋をする自由を奪ったら。もし、国家が生きる自由を奪ったら。

国家が間違っていると言うことができず、好きな人を追いかけることができず、国家に死ねと言われたら死ねばならない。

 

少なくとも私はそんな国家の中で生きたいとは思いません。

だから、国家が私の「他人の自由を制限しない自由」を制限すること、言い換えれば「他人に迷惑をかけない範囲の自由」を制限することを防がなければならない。

そのために存在するのが憲法です。

 

憲法は、国家権力がどこまで国民の自由を制限できるかを規定しているわけです。

だから、「憲法は権力を縛るもの」と言える。

先ほどの日本国憲法第13条も、権力がどれだけ国民の自由を守るべきかを、言い換えればどこまで国民の自由を制限していいかを示しているのですね。

 

では、国民の義務は?

日本国民の三大義務、「勤労」「教育」「納税」とは小学生の頃に習ったものと記憶しています。

これらは憲法にも明記されています。

であれば、憲法は国民にも義務を強い、国民を縛っていると言うこともできそうに見えます。

 

しかし私はその見方を一面でしかないと考えます。

 

「勤労の義務」は少し特殊なのですが、いわゆるプログラム規定的な、倫理指針のようなものと解釈されているようですね。

また、私はこれに「国民が勤労の義務を果たすことのできる環境を作る」という国家の義務である面もあるのではないかとぼんやりと考えています。

 

「教育を受けさせる義務」は、これも全ての子供に教育が行きわたるようにするための記述であり、同時に「全ての子供が教育を受けられるような環境を作る」という国家の義務である。

 

納税の義務」は、国家運営のために必要な納税を国民に課すと共に、日本国憲法第30条、

国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負う。

とある通り、「法律の定めないところでは納税の義務を負わない」という、国家の課すことのできる徴税の範囲を示していると考えられます。

 

すなわち、これらの義務は、憲法で国民の義務を明記するとともに、それ以上の義務を課せられないよう国家権力を縛っているものである、というのが私の考えです。

 

憲法は権力を縛るもの」という原則から上記も導出できますし、原則はシンプルなほどよい、というのが私の美意識なので、シンプルな原則を拡大して上記に(おおよそは)たどり着けるように思います。

 

ということで、以上、憲法を語ってみました。

三権分立改憲、メディア論についても論じていきたい今日この頃です。