思考の徒然的出力装置。

徒然なるままに日暮らしネットに向かひて、心に移り行く由無し言をそこはかとなく書きつくれば、怪しうこと物狂おしけれ。

日本敗退から繋げる、「反省論」

日本がW杯でグループリーグ敗退しました。

残念ですが、しかし、個人的には予想通りと言うか、寧ろなぜあんなにいけるいけると囃し立てられていたのか分かりませんでした。

 

さて、今回はちょっと仕事論(?)でも。とか言いながら、多分かなりの雑文です。フットボールファンとしての私見も混ざってるので。

 

 

Footballとは。

ラグビーとかアメフトとか含め、実は様々なスポーツの総称。

発祥はどこを発祥のラインとするかは難しいけど、蹴鞠まで含めようとしたら含まれるし、イングランドってことにしようとしたらできる。 

様々なルールが各地で存在し、それを「assocation(協会)」でまとめたルールが、イングランドで言うフットボール、日本で言うサッカー(あるいはサッカーフットボールとか蹴球)なんですね。

ちなみに、ラグビーフットボールラグビー校という学校で定められたルールを基にするフットボールです。

 

実は私、フットボールの戦術論は苦手です。

途中で頭ついて行かなくなります。将棋も苦手です、オセロも……。

ルールブックは、2010年広島ビッグアーチにて、なんとかかんとかDFWとか言う選手と佐藤寿人のトリックPKをその場で見ていて「これファールでしょ」って喜びの中スタンドで隣の友人に話してた程度には読み込んでますし、基本的なことは分かります。

が、どうしても頭がマルチタスクに向いてないので、ボランチの動きだの、二列目の動きだの、細かいことを考え始めてしまうともう駄目です、色々な連動にはついていけないのです……。

 

ですが、フットボールの経営論とか、経済論とか、そういうのは大好きです。

だってフットボール大好きだし。

 

さておき。

 

W杯日本敗退決定後、様々な意見が飛び交ってました。

何が悪かったか、誰が機能してなかったか、そういう論から、「選手は頑張ったんだ、監督も、なぜ責める?」みたいな意見まで。

これに関して、思ったことがありました。

頑張ったから結果が出なくても良い、だから反省は要らない。というのはビジネスではアリでしょうか。ナシだと思うのです。

ここで誤解を受けない様に注釈。

反省は、打ち拉がれた自分を見せることじゃないです。全然脳内前向きで構いません。そうでなくて、冷静に過程を分析し、なぜ失敗したか、なぜその結果が出たかを知ることです。

 

「四年間、頑張った人を批判するのか? その頑張りが無駄だったと言うのか?」

違います。では、何が違うか。

 

まず、四年間、W杯のためだけに頑張っていた選手は実は少ないでしょう。

所属クラブで活躍し、あるいは所属クラブを勝利させるために頑張ってたり、自分の生活を、そして家族の生活を支えるために頑張ってたり。フットボーラーは、W杯で生活してるわけじゃないです。

 

まぁ、それは揚げ足取りみたいなものですね。熱く論じるなら、リーグ戦を見ずに知らずにW杯だけ見てるからそんなこと言えるんだろうなとかありますけど、それは今度の機会に置いておきましょう。

 

では本題。

頑張りが無駄だったとか、批判だとか、そういうことは、フットボールファンは言ってないのです。

一部の口汚く罵ってる人とはまず別であることを理解していただきたい。

多くのフットボールファンは、Jリーグ観戦に行き、サッカー雑誌を買い、あるいはクラブグッズや選手グッズを買い、スカパー!と契約し、フットボールを愛し、お金を落としています。日本のサッカー協会にお金を間接的に払っている層です。

金払ってないのなら黙っとけ、なんて言う気はないし、今や日本各地でプロサッカーの試合が観戦できるので、生の空気やら何やら、最高だから是非、一度足を踏み入れていただきたいところですらあります。

しかしながら、愛故に、なんちゃって批評家と化して、どうしたら勝てるのかを論じたいのも、フットボールファンです。

愛しているから、もっとよくなって欲しいんですよ。

で、それが一見悪意のこもった批判にも見える、そんな論に繋がる訳です。

「交代枠の使い方がまずかった」「選手に固執した」「前線でファールを貰いにころころ転けていた」「調子が最悪で、縦パスも通してない」これら全部、批判です。

でも、論文とか批評とか、そういう話をする上で「批判」の意味を聞いたことがある人も多い筈。批判は、否定ではないのです。

 

「もっとよくするにはこうしたらよかった。次はこうしよう」

 

これって、反省ですよね。次に活かす、分析。

寧ろ、こういう分析が反省がなければ、その方が四年間を無駄にします。

 

日本人の傾向として、「反省しろ」=「自分のせいだと落ち込む姿を見せろ」、「反省する」=「他人のせいにせず、自分が悪かったところを無理矢理にでも捻り出す」というものがあるように感じます。

おそらく、日本の「和」の心がそうさせるのであり、「他人のせいにするやつは悪」「他人を悪く言い、自分を悪く言えないやつは悪」「自分を悪く言わないやつは悪」みたいな、同調圧力を感じることもあります。

でも、それって何の意味もない反省ですよね。「和」とか言う、同調圧力の保持にしか役に立ってないです。

「自分にできたことを棚上げにして、他人の責任所在を明らかにする」って言うのは、否定されがちです。

でも、そこにも真実があると思います。故意にできることをしなかったのなら別ですが、他人の行動に因果関係があれば、それは一つの原因となり得ます。何でもかんでも自分の責任だけで解決させていたら、原因の特定も、成長もあり得ません。

大事なのは、原因の所在をはっきりさせること。責任の所在ではないです。原因の所在です。誰かが悪かった、ではなく、誰がどうしたのが、こういうことに繋がってしまったか、です。

原因は、責任とは違います。

 

罪を憎んで、人を憎まず。これこそが、世の中に必要な考え方だと思います。

 

ちょっと、感情的になってしまったのは否めないので、この駄文はこの辺りで。

今度、「Jリーグに足を運びたくなる話」をしましょう。